未分類

「人生もういいや」って思ったときに読む記事

誰であろうと、亡くなるのは悲しい。

だけど、その感覚は亡くなった前後にしか持ち合わせていない。

「いつまでも引きずるな!忘れろ!」と脳がプログラムしているのかもしれない。

 

ただ、「死」からは誰も逃げられないし、つねに意識しておきたいことでもある。

ってことで、この鮮明な感覚を忘れないよう、文章として記録しておきます。

りっくん
りっくん
もしかしたら悲しい気持ちになるかもだから、読むときは要注意!

その1「残される家族を忘れずに」

どんな死に方であっても、まず忘れないでおきたいこと。

自分は亡くなることによって、ある意味人生の終わりには到達するが、身の回りのひとたちの人生は続いていく。

その間、亡くなったあなたのことを一生忘れず、過ごしていくことになる。

もしかしたら、その記憶が「黒カビ」のように、こびりつくかもしれない。

 

どんなひとであれ、亡くなったら悲しい。

みんな後から思うんですよ。

「どうせなら生きてくれ」って。

 

その2「死んだら元も子もない」

たとえば、あなたが亡くなったとしましょう。

そんなときに周りから、こう言われたらどうでしょう?

  • ○○が原因だ
  • ○○をしていたからだ
  • きっと○○と思っていたに違いない

「違うわ!!!」ってツッコミたくなることもあるはず。

 

でも、反論できるのは生きているひとだけです。もはや特権。

ゆえに亡くなってしまっては、元も子もないんです。

生きていなきゃ何も言えない。戦えない。

 

仮に亡くなることが救いだとしても、バチバチに意見をぶつけないと、みんなが消化不良になってしまう。

 

その3「ムリだと思ったら休め」

仕事をして、SNSをみて、心身ともに疲れたら休むしかない。

自分もそうだけど、本当にメンタルが落ちたときは「何もしていなくても涙がでる」なんてことは普通にある。

こうなったら、もうムリ。

 

勉強なんてしている場合じゃない。

もちろん仕事もしている場合じゃない。

 

とりあえず休め。寝ろ。

ガス欠になっている状態で、走ろうとするな。

ガソリンを補充するように、1日中ひたすら寝ろ。

 

繰り返しになるが、死んでしまっては元も子もない。

休め。

なにもするな。

 

死にたくなっても、1人で溜めない

結局、人が自殺するときは「希望が見えなくなったとき」なんじゃないかと思っている。

 

自分も死にたくなるときがある。

でも死なないのは、パートナーやペットがいるから。

いなかったら死んでる。一瞬である。

メンタルが地まで落ちたとしても「ブレーキ役」になってくれているから、なんとかなってる。

 

もしパートナーなどがいない、実家との関係も悪かったら、ただ逃げるしかない。

そして友達に話す。SNSに書く。こんな感じでブログに書き起こすなど。頭のなかに溜め込まない。

 

内側から外側への道をつくり、循環させる。

流れなくなると氾濫するから。

溢れてしまうと泣いてしまうし、きっと死んでしまうから。

 

いつでも相談できるひとを身近に1人

「死」について考えたときに、必ず思い出すひとがいる。

それは高校で英語を教えてくれた先生。

 

先生は事故死だった。

前触れもなく、自分が知ったときにはすでに亡くなっていた。

即死だったらしい。

 

その先生は英語だけでなく、人生の生き方、人生の多様性を教えてくれた。

高校を卒業してから、のらりくらりと暮らすしかないと思っていた自分に、大学という選択を教えてくれた。

何かを追求することが好きだったから、勉強に活かしたほうがいいと教えてくれた。

この先生がいなかったら、おそらく今の自分はいない。という間違いなくいない。

今みたいに文章を書いているわけがないし、フリーランスという生き方になっているとは到底思えない。

 

自己肯定感が高いまま生きられているのも、先生のおかげ。

当時、公務員を目指していたところから、急遽大学を受験することになった。

親や担任とはけっこう揉めた。

 

そんななかでも「あなたならできる」「ぜったい大丈夫」と毎日励ましてくれていたのが、その先生。

見返りなんて、もちろん求めていない。

ただただ、自分の生徒のしあわせを願って、できることをしてくれた。

参考書を買ってくれたり、昼休みに雑談に付き合ってくれたり。

大学の下見までつれてってくれた。そうそうできることじゃない。時間もお金もかかるから。

 

自分だけが気に入られていたというのもあるが、先生は全生徒から気に入られていた。

廊下を歩くとみんなから声がかかるぐらい。

 

なにを言いたいのか分からなくなってきたけど、要は「いつでも相談できるひとがいると心強い」ということ。

だから、死にたいと思っているひと、悩みがとれず困っているひとは連絡してほしい。

完璧に救うことは難しいかもしれない。けど、話は聞けるし、返信もできる。

それで少しでも気持ちが楽になるなら頼ってほしい。

 

おわりに

正直、死について書く気はもうなくなった。今のところは。

死にたいひとも生きてほしいし、大事なひとはもれなくみんな生きてほしいし、自分も生きていきたい。

耐えられないつらいこと、悲しいこと、苦しいことがあったら逃げたほうがいい。

逃げるべきだとはいわない。それはそれで「ムリだ」と言いたくなる気持ちもわかるから。

でも大抵は逃げたほうが生きやすくなる。なんなら死ぬ一歩手前で踏みとどまれる。

 

学校が嫌なら1週間休めばいい。

バイトが嫌ならやめたらいい。

大学がつまらないならやめたらいい。

仕事が嫌ならやめたらいい。

 

世間体やお金のことが心配かもしれないが大丈夫。だいたいなんとかなる。なまけものの自分でもなんとかなってきた。

我慢したとしても、どのみち限界がきて死に近づくだけ。それ以外にも選択肢が無数にあったとしても。

 

選択肢がない感覚になるのは未経験だから。それは仕方ない。

でも大丈夫。

意外とお金がなくても稼げる方法はいろいろあるし、生活保護など使えるものは多い。使えるものはなんでも使ったほうがいい。

 

世間体に関しても、世間があなたをどう思っているかではなく、世間にこう思われるんじゃというあなた自身の予想/考えが一番の毒だったりする。

そりゃあ苦しいよ。

嫌な環境でも我慢しなきゃいけない価値観で生きていたら。

 

環境や友人関係もすべてそう。

自分が嫌なものは切っていって問題ない。

できた空白にはかならず何かが埋まるよう動くから。無意識に。

友達がいなくなったら新しい友達を。お金がなくなったら新しい仕事探しを。

あっ、もちろん詐欺には気をつけて。お金がないときに焦るとそのへん引っかかるひと増えるから。

 

とにかく、生きづらいな〜と思ったら逃げること。

 

そして逃げることを躊躇するなら、原因は外ではなく、たいてい内側にあることもお忘れなく。

いったん新しい価値観をもっているひとの意見に触れたり、相談するのが個人的に推したい。

会社をやめることも、自分や家族からすると「ありえない」と思っていたとしても、フリーランスや経営者からすると「えっ、自分で稼ぐ経験をしていないのはありえない」と思っている可能性が高い。

根本的な価値観から違う。

過去の自分をぶち壊すなら、このぐらい真逆な価値観に触れるほうがいい。

触れれば触れるほど、新しい行動や環境に抵抗感がなくなってくる。

 

一種の自己洗脳に近い。

怖い言葉だけど、生きやすくなる、変化したいなら必ずやったほうがいい。

 

以上っ!